私は調律師の聴く音とピアノが奏でる音楽とは根本的に別物、
と云う考えをしています。
だからピアノの調律と音楽があまりにも同一線上にあるという、
この作品の背景には違和感があります。
しかしながら、
この作品の音に関する表現力、言葉や文章には感銘しました。
物事の表現方法が無限であると云う事を面白く感じさせてくれました。
昔、ギター弦の調律には音叉(A=440ヘルツ)を使用していました。
五弦の解放弦(A)を合わせて、次に一弦を同時に鳴らして完全五度の響きで
一弦の音をEに合わせます。
これが出来るようになると、何となく一人前、、、、、と云った感じでした。
しかしチューナーを利用するようになって、これが意味の無いことだと気づきました。
ギターは平均律の楽器です。
今はデジタルチューナーを使います。
正確で便利です。
今でも音叉を使用しているギタリストを見ますが、
何故チューナーを利用しないのか不思議です(笑)。
ギターは平均律の楽器です。
ところでピアノ調律師はチューナー使っていましたっけ?
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