金木犀は花の季節。
私にとってはこの花は便所の臭い。
昔の便所は多かれ少なかれこんな臭いがしていた。
便所の芳香剤にもこの花の「香り」を使っていたように思う。
便所の周りに金木犀を植える家庭も多かった。
人でも、物でも、言葉でも同じものと長く付き合っていると色あせてくる。
つまり、より現実的になってマイナス面が目立ってくる。
汚れたものは湾曲表現で処理する。
だから便所は湾曲表現の使い捨ての場所。
厠が出来たころは川の上の優雅な空間だったに違いない。
それを使い続けるとだんだん言葉が色あせてくる。
そういう言葉を口に出すのがはばかれるから「はばかり」と呼ぶ。
雪隠の語源は知らないが、字を見る限り美しい。
便所のことを長いあいだ「WC」と呼んだ時期がある。
このアルファベットの響きは、少なくともその時は、
便所の印象から最も離れたところにあった。
不浄なものは「ご不浄」、本気で不潔感を回避しようとした試みもある。
「化粧室」は汲み取り式の時代には無かった言葉。
今は「お手洗い」となっているが、
「手水」と呼んだ時期があるから、結局一回転してしまったような気もする。
アメリカでも同じような言葉の変遷があるのだろう。
私の記憶にある限り、アメリカでもっとも湾曲した表現は、
where's the john?
しかしジョンが人の名前ならtheは入らないハズ。
いずれにしても It‘s me などときたら困るからこれは使えない(笑)。
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