中出阪蔵は、歴史的ギタリスト アンドレス・セゴビアの初来日を契機に、
それまでバイオリンの製作家であったが、ギター製作に転向した。
昭和30年代に興ったクラシックギター全盛の時、彼には十数人もの弟子がいた。
生涯彼の名前で世に出したギターの数は一万本とも云われていた。
二日ほど前に、名古屋に住んでいる息子夫婦の所に行って来た。
中出阪蔵の1970年製作の一本(私が使っていたものだが)が置いてあった。
彼はギターが弾けないのにもかかわらず、何故か新しい弦が張られていた。
、、、、、と云うか、だれも弦を弾いた痕跡が無かった。
嬉しいのやら悲しいのやら、、、、、(笑)。
傷だらけの表面板は、フラメンコギターを弾いていたことが判るだろう。
フラメンコギター専用楽器であれば、ゴルペ板をいうプラスチック板を
サウンドホールの周りに貼ってあるので、ギターを叩いた時の傷は付かない。
ハッタリの利いた演奏にあこがれ、大切な楽器が傷つくことも厭わない二十歳の頃だった。
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